四つの錯覚
公開日:2010年4月12日
四 つ の 錯 覚
お釈迦様は、本当の自分を知らない人は、下記の4つのことを錯覚してしまうとお説きになられております。
☆ 常 ・・・ この世には何一つとして不変なものなどないのに、すべてがいつまでもあるように錯覚している。例えば、自分もいづれは必ず死んでゆかねばならない身であるのに、自分だけは常にあると思っている。
☆ 楽 ・・・ 楽を求めれば、そのぶん苦も生じてくるという相対的なものが常にあるのに、それを忘れて欲望の赴くままに楽を追い求めてしまう。
☆ 我 ・・・ 自分の肉体を分解してゆくと原子になり、最後はわからないものになってしまう。人の心も「これが心だ」と呼べる実体がない。このように、これが我=私と呼べるものは何も存在しないのに、我にこだわってしまう。
☆ 浄 ・・・ 心身ともに様々な汚れ(自分勝手な思考など)を持っているのに、そのことに気づかず、外見だけを美しく、清らかに装って満足している。
この反対が、無常・無楽・無我・無浄であり、少しでもこの四つの錯覚から脱したいものです。仏教用語で、この「常・楽・我・浄」を、常波羅密・楽徳波羅・我密波羅密・浄波羅密といい、これを「四徳波羅密」と言います。