端午の節句

端午の節句・・・

五節句の一つで、旧暦五月五日の称。男子の節句でsる。

端午とは、「初五」の意で、端は初めの意である。午は、五と同音で同じ。つまり端午は、もともと月の初めの午の日のことをいい、毎月上旬の五日の意味もあった。特に五月五日を指すようになったが、古くは五月以外の月の五日にも使われていたらしい。

中国では、月と日の数が重なる日を祝日にする風習があり、五月五日を端午として祝うようになった。重三(三月三日)重陽(九月九日)と同じ由来を持つ。

古来、中国では、この日、野に出て薬草を摘んだり、ヨモギで作っ人形を家の戸口にかけたり、菖蒲酒を飲んだりして邪気を祓う行事が行われた。

これが平安時代に日本に伝わり、貴族の間から次第に庶民へと普及していった。

日本では、菖蒲やヨモギを軒につるしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いした。江戸時代以降は、男子のいる家では鯉のぼりを立てて、甲冑・刀・武者人形などを飾って子供の成長を祝った。

この日、菖蒲湯に入る地方も多い。菖蒲がまじないに使われたのは、これが昔から薬草であり、邪気・悪鬼を祓って火災を除くと信じられていたからである。

また、この日とまきを食するのは、これも中国の風習で、楚の屈原(紀元前三四三から二七七年頃)が五月五日に泊羅に身を投じて死に、その霊を弔うために、屈原の姉が餅を作って川に投げ入れたのが始まりといわれている。

日本では、古くから五月を悪月(あしげつ)・物忌み月とし、「さつき忌み」と称して、田植えが始まる時期、早乙女が家に籠って身を清め、田の神を迎える早乙女、つまり若い女性が穢れを祓い身を清めたのであった、五月の節句はもともと女の節句であった。

五月の節句は、日本古来のさつき忌みの風習と、中国伝来の端午の節句が一つのものになったものと見ることができる。

この端午の節句は、武家社会に入って。菖蒲と尚武が同音であることなどから、雛節句と対照的に男子の節句となって立身出世するようにと、鯉のぼりや強さを意味する武者人形が飾られるようになった。

朝廷では古くから端午の節句が公の儀式とされていたが、武家や民間でもこの日を祝うのが一般化し、鎌倉幕府や室町幕府でもこの日を公の祝日とした。さらに、江戸時代になると、五節句の一つとして重んじられ、庶民も武士のまねをして祝い始めた。明治になり、富国強兵の国是とあいまって、鯉のぼりや武者人形がさらに普及することになった。

現在、五月五日は「こどもの日」で、国民の祝日として制定されている。

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