「節分」の由来
節分の由来
節分とは、24季節72気候のうちの「立春・立夏・立秋・立冬」の前日を意味しますが、今日では一般に「立春の前日」を指すようになっています。
この日には各寺院や神社などで「節分追儺」を行います。追儺の儺は、難と同じ意味を持つ字で、駆疫の意味を表します。節分というとすぐ「福は内、鬼は外」といって豆まきを思い起こして頂けると思います。しかし、節分と豆まきは、本来一緒ではなかったといいます。
時節の変わり目の厄除けの行事が、古くkら我が国にも伝えられ、7世紀頃にその記録が伺えます。
『徒然草(つれづれぐさ)』に、「追儺より四方拝につづくこそおもしろけれ」とあるように、宮中では大晦日の夜、年越しの行事として追儺が行われていました。現在でも、六日年越、七日正月に鬼を追う風習があるのはこの名残のようです。
豆まきは、豆打ちといって宇多天皇(888年)の御代に、鞍馬山の鬼が都に出てきたので、三石三斗の豆を投げつけてこれを追い払ったという言い伝えから始まったとか、中国の漢の時代に、小豆や五穀を投げつけて鬼気を払う風習からきているともいわれ、諸説様々ですが、節気の変わり目の節分と、年越しの厄払いの追儺行事と、豆で鬼を払って疫や災いを除く豆打ちの行事が重なり合って、今日の節分豆まきとなったのです。
立春を正月とするのは、古く中国からの影響で、古代中国でも正月のとり方に幾通りも合ったようですが立春正月がはっきりしたのは漢の武帝の太初改暦(紀元前104年)時代
以降で、厄二千年の昔から続いてきました。これが日本も暦法に伝わってきたものです。
当寺では、2月の第1週の日曜日の正午から「節分追儺星祭大祈祷会」を開催しております。厄払いや交通安全祈願、身体健全や家内安全、商売繁盛など各種緒御祈祷を2時間近く行います。
ちなみに、当寺では法華守護の「鬼子母尊神」を勧請しておりますので「福は内、鬼は外」とはいわずに「「善星皆来、悪星退散。福は内」といい豆まきを致します。
「福は内、鬼も内」というところもあるようですよ。
当寺附属の幼稚園では園児達に「福は内、鬼は外」といい、先生達が鬼の格好をして、それぞれが「泣き虫」「弱虫」などの大きなカードを付けて、園児達は強い子になるよう豆まきをしてます。