「成道会」について

「成道会」について
 12月8日は、お釈迦様が暁の明星をあおいでお悟りをひらかれた日で、「真実の道を悟り得た覚者(成仏得道)」となったことをお祝いして「成道会(じょうどうえ)」が行われているのです。
 印度のカピラ城の執政官の子としてお生まれになったお釈迦様は、29歳の時、両親・妻子会を残して出家されました。
 人が死ぬということ、生き物が互いに殺し合う非情さ、老いと病など、常に若いお釈迦様の心を悩まして、それらを解決する道を求めて出家されたのです。
 しかし、世の思想家達のもとを訪ねましたが、納得するところが得られず、自ら道夫を求めて苦行の生活に入られました。
 肉体があるから、迷いや悩みが起こってくる。その肉体の力をおさえたならば、迷いや悩みが起こってこないのではないかと苦行を選ばれたのです。それは「過去にも、現在、未来にもこれほどの苦行をした者がいない」というほどでした。
 半月に一度しか食をしない行や、髪や髭を抜く行、或いは立ったままで座らない行、うずくまったままの行とか、いばらの床に寝る行など様々な行をされました。
 「呼吸を止める禅定に入った。口と鼻から息をするのを止めた時、両耳から出る風は大きな音をたて、剣をつきまわすように頭を悩ませました。腹が切りさかれるほどの痛みがあり、激しい熱が出て、これらの苦痛をこらえるために身は震え、安らかではなかった。食を減らしたため、身体は痩せて腹の皮を触ろうとすると背骨をつかむほどで、用べっbに立とうとしてその場に倒れた。手足をこすったら、身の毛は腐った毛根とともに抜け落ちた」
 しかし、この様な苦行を六年間もしても悟りは得られませんでした。
 極度に衰えた身体で修行を続けられたお釈迦様は、とうとう倒れてしましました。その時、スジャータという娘が助け、お釈迦様にヨーグルトを混ぜた粥を食べさせました。一緒に修行をしていた五人の比丘たちは、その姿を見て「ゴータマは、苦行から脱落した」と言ってその場を去っていきました。
 一人になったお釈迦様は、近くの大きな樹の下に座り、そこで禅定に入られました。
 そこは、王舎城の南西、ウルヴェーラ村のネーランジャ河のほとりの一本の大きなピッパラ樹(菩提樹)の下でした。
 そこでお釈迦様は、
「心に前の世の生涯を思い、見る第一の智慧」
「人々の生き、死ぬことを知る第二の智慧」
「諸々の迷いの無くすることを知る第三の智慧」
「これらの智慧でもって、諸々の迷いから解脱され、悟りを開かれたのです。
「ネーランジャ河の岸辺の菩提樹の下で、初めて正しい悟りをお開きになって、七日の間足を組んだまま解脱の楽しみを味わっておられた。まこと熱意をもって思惟する聖者に、かの諸々の法が明らかになる時、かれの疑いはすべて消え去った。縁起の法を知れるがゆえに」
 すべてのものは、原因と縁(条件)によって成り立っているのだと、悟られたのです。 しかし、悟りを開かれたお釈迦様の胸中にも不安がありました。
 まだ誰も悟ったことのない道を得られたお釈迦様にとって、共に語り、確かめ合う相手がいなかったということです。
 やがて「私の悟った法こそ尊重し、親近すべし」と、人々に教えを説いて理解させ、共に実行していくことを決意されました。
 そして、お釈迦様のもとから去っていった五人の比丘たちに、この法を説くために二五〇キロ離れた鹿野園に向かわれ、そこで初めて悟られた教えを説かれたのでした。
 今、お釈迦様がお悟りを開かれた聖地ブッダガヤには、大きな塔が建てられ、世界各地から巡拝の人々がお参りに訪れております。

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