「花祭り」について
「花祭り」について
4月8日は、お釈迦様がお生まれになった「灌仏会(かんぶつえ)」です。他に「降誕会(ごうたんえ)」と言ったり「仏生会(ぶっしょうえ)」「竜華会(りゅうけえ)」と言ったりもします。一般に「花祭り」と呼ぶようになったのは、明治45年からといいます。
春の花をいっぱいに飾りつけた小さな花御堂の中に、浴仏盆(よくぶつぼん)と呼ばれる水盤を置き、その中央にお釈迦様の誕生仏を安置して、竹の柄杓で甘茶をかけて皆んなでお祝い致します。白象(びゃくぞう)の山車(だし)をひき子どもたちの可愛らしい稚児行列など大々的にお祝いをしたりもします。
この灌仏会の行事は、印度や中国ではすでに古くから行われていたようですが、我が国では奈良時代から行われていたことが、東大寺に当時の誕生仏像(国宝)が伝えられていることからも知られています。
誕生仏については、五指を揃えて伸ばしているのは古い形像で、中世以降のものは現在のように人差し指を伸ばし多の四指は曲げている形になっています。
また、甘茶をそそぐようになったのは江戸時代以降で、それ以前は五色の香水をもってしていたようです。
お釈迦様は、印度のカピラ城(現ネパール領)の執政官浄飯王(じょうぼんのう)と摩耶夫人(まやぶにん)の間にお生まれになりました。お二人はなかなか子どもが授からなかったのですが、摩耶夫人が、白象が胎内に入る夢を見て懐妊しました。月が満ちて出産のために夫人の実家であるデーヴァダハ城に帰る途中、ルンビニーの園で休息されていたとき、急に産気づいて誕生されたのがゴータマ・シッダルタ、後のお釈迦様でした。紀元前463年4月8日のことです。
言い伝えによると、摩耶夫人が爛漫と咲いている無憂樹(むゆうじゅ)の枝に手をさしのべたとき、右腋下からお釈迦様が誕生し、東西南北四方にそれぞれ七歩歩まれて、右手を上に、左手で地を指さして「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)、三界皆苦我当救之(さんがいかいくがとうぐうじ)」とおっしゃったといわれています。この時のお姿を尊像にしたのが花御堂にお奉りする誕生仏です。
古来印度では、バラモン階級は神の頭から、クシャトリヤ階級は神の腋下、ヴァイシャ階級は神の足の股、スードラ階級は神の足首から生まれるとされていました。摩耶夫人の右腋下からうまれたというのはお釈迦様がクシャトリヤ階級に属していたことによるもので、一世紀頃の仏伝のレリーフ彫刻などにもこのありさまが彫られています。
また、七歩歩まれたというのは、迷いの世界である六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を超えられたということを象徴的に表現しているとともに、七という数字は永遠を表す意味があるとされていますから、七歩歩むということは、お釈迦様が人々の苦しみを救うために永遠に歩み続けるということを示しているわけです。
また、このとき九竜が産湯代わりに香水を天より降らしたということにちなんで、甘茶を誕生仏にそそぐ訳で、ここから「灌仏会」という呼び名もおこっています。また、人間を救うために天界から願って人間界に生まれてこられたので「降誕」ともいうのです。
「天上天下唯我独尊」の言葉は、人々の苦しみを救う者としての表明です。
また、白象に乗って、摩耶夫人の胎内に入ったという夢にちなんで、花祭りの時白象が登場してくる訳ですが、象は印度では高貴な方の乗り物で、白は最上、最善を意味することから、最も優れた人ということを白象という表現で示されています。