「足を洗った水」

仏 教 説 話

ある日のこと、お釈迦様を訪ねて、一人の男の人が竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)にやってきました。

最初に会ったのは、お釈迦様の一人息子のラーフラです。

頭を丸めていたとはいうものの、まだ12・3歳の腕白盛り。

「お釈迦様は、今どちらにいらっしゃいますか?」との問いに、

「この道をずっと登っていった霊鷲山(りょうじゅせん)のお山です」と答えました。

霊鷲山というのは、お釈迦様が、お弟子や信者の人々を集めて、教えを説かれるお山です。

男の人は、ラーフラにお礼を言うと霊鷲山へと向かいました。

その後ろ姿を見送りながら、ラーフラは「フフフ・・・・・」と笑いました。

なんとその日、お釈迦様は霊鷲山ではなく、町に托鉢にお出かけだったのです。

「山に登ったら、誰もいないのでビックリするだろうな」

そんなラーフラのいたずらを知ってか知らずか、ちょうどその時、お釈迦様の一向が托鉢からお戻りになったのです。

ラーフラは、急いで水桶をお持ちしました。

その水で足を洗われたお釈迦様は、実に気持ちよさそうです。ラーフラは、そんなお釈迦様のお顔を見ることが大好きでした。

ところがその後、お釈迦様は、ちょっと厳しいお顔になって、こんなことを口になさったのです。

「なあ、ラーフラよ。そなたは、私の足を洗った水を飲みたいと思うだろうか?」

ラーフラは、ビックリして「えっ」と聞き返しました。

すると、「おそらくそうは思わないであろう。それなのにそなたは、悪意に汚れた言葉を人に飲ませてしまった」とおっしゃいました。

お釈迦様は、ラーフラのした行いすべてをお見通しだったのです。

ラーフラは大声をあげて泣き出しました。「ごめんなさい。ごめんなさい!」と言って泣いたのです。

その大粒の涙が大地に落ち、土に吸い込まれていきました。

すると、お釈迦様は、その涙の落ちた所に、ご自分の足を洗った水を流されました。

「たとえ汚れた水であっても、大地に戻れば恵みの水となるように、そなたの過ちも悔いの涙に清められ、心の糧となるであろう」

こう諭(さと)されたラーフラは、それ以後、決して他人をからかったり、嘘をついたりしなくなったそうです。

「足を洗う」とは・・・・・

「心を洗う」ことなんですね。

・・・・・・・・・・心に染み入る説話ですね! とっても良いお話なのでご紹介しました。

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