「彼岸会」について
「彼岸会」について
春分の日・秋分の日を中心として前後の三日間、計七日の一週間を「お彼岸」といいます。
古来、彼岸会は仏教圏の中でも日本にだけ行われてきている仏教行事です。
聖徳太子の時代まで遡るとといわれる説もありますが、
諸説の中でも、初見の記録をひもとくと
「日本後紀」第13、延暦25(西暦806)年3月の条に
「崇道天皇(早良親王)の奉為に、諸国の国分寺の僧をして、春秋二仲・月別七日、金剛般若経を読ましむ」
というのが彼岸会の始めといわれております。
また、「源氏物語」「宇津保物語」など、平安期の文学に「彼岸」の記事が多くあり、
彼岸会は平安期から朝廷で行われ、江戸時代には年中行事として民間に定着してきたようです。
彼岸は詳しくは「到彼岸」といい、サンスクリット語の音写語「波羅蜜多」を漢訳した言葉であります。
つまり「彼岸に到る」意で、煩悩生死の苦海を超えて悟りの世界・悟りの岸(彼の岸)に達することをいいます。
迷いのこの世界(此岸)から悟りの世界(彼岸)へ到るという教えは、私たち凡夫に対して一つの目標を示した方便の教えであります。
従って、彼岸は、悟りjの世界に向かうための「仏道精進」の期間であり、「仏道実践強調習慣」といってもいいでしょう。
この行事は、「観無量寿経」の日想観と、日本古来からの祖先崇拝とが結びつき、先祖供養・墓参りをする風習になり、日本独自の行事となったとされますが、
春分・秋分に行うことについて
『 春秋の二つの季節の間に、彼岸はそれぞれの正時であり、経には「昼夜の斉(ひと)しき」等にして、「両岸に比するがごとく左右均等なり」などがあります。
従って、「彼岸」と名付け、また日の出と日の入りは両岸において、此の岸と彼の岸と斉(ひと)しい故に「彼岸」とも書く。時分が相応する故に、所作は成就するという。他の時にはこの意義はない。
仏法は正しいことを用とし、魔界は違うことを用とする。故に正直の時節に仏法は顕現し、魔界は隠没する。これにより一年の中に二つの季の彼岸を仏法相応の時節とするのである 』
とかかれた書物もあるそうです。
つまり、仏道修行するのに最も適した時期であると解釈されるのです。
特に在家の人は、普段は仕事や家業、育児・家事等に追われ、仏道修行や善根功徳を充分に積むことは容易ではありません。
そこで、この春秋の二季の七日間は最も良い時期であるから、少しでも善行を実行するのにふさわしい期間とされ現在まで代々伝わってきているのです。
或いは、農耕との関わりから、日本に古来伝わる「天道信仰」の風習と結びついたという説もあるそうです。
例えば、太陽の動きに連れて東から西に社寺を巡拝する「日送り・日迎え」の行事が関西地方にあったといわれ、
また「日の願い」が「日願=彼岸」となったのではないかとする説(五来重)もあり、諸説があって一定してはいないようです。
お彼岸には「ぼたもち」をお供えします。
これは、見た目は春も秋も同じように作ってお供えしますが、春の彼岸に供える餅を「牡丹の花」が咲く頃なので「ぼたもち」といい、秋彼岸は、「萩の花」が咲く頃であるから「おはぎ」と名前を別に呼ぶようです。
また、小豆のアンでくるんだものを「ぼたもち」、きな粉をまぶしたものを「おはぎ」と呼ぶところもあるそうですよ。
当寺では、春秋の彼岸会にもお盆と同じように施餓鬼法要と塔婆供養や永代供養を致します。
どなた様でもお参りできますのでお越しくださいませ。