祖師像の「綿帽子」の由来
公開日:2009年9月27日
祖師像の「綿帽子」の由来
文永元(1264)年8月、久しぶりに故郷房州(千葉県)に戻り、母を見舞った日蓮聖人は、11月には工藤吉隆(くどうよしたか)のもとに招かれました。その途中、小松原で地頭の東條影信(とうじょうかげのぶ)らの手勢に襲われました。熱心な念仏信者であった。東條影信は、師の道善御坊にそむいてまで熱心に法華経を説く日蓮聖人に対して深い敵意を抱いていたのです。
一行は必死に防戦しましたが、お弟子の鏡忍坊(きょうにんぼう)、工藤吉隆らは討ち死にし、聖人ご自身も影信に斬りつけられ、額に三寸ほどの疵を受けてしまわれました。そして奇跡的に鬼子母神のご加護で救われた日蓮聖人は、間道づたいに夜道を逃れ、小湊山の知覚にたどれつかれました。やがて、谷間の水で疵を洗い、経を読みながら身を隠した岩窟の砂を疵口にぬって血を止めたということです。その翌朝、額に深い疵をおって隠れている聖人の姿を見かけた「おいち」という老婆が、とっさに自らかぶっていた綿を聖人に差し上げたということです。
これが、綿帽子の由来ですが、寒くなると痛んだであろうと聖人を偲んで、秋の御会式から春に行われる千部会、或いは4月8日の釈尊降誕の聖日まで聖人の祖師像に綿帽子をかぶせるようになったようです。
ちなみに、当寺では、暑さ寒さも彼岸までというように、秋のお彼岸の中日にかぶせ、春のお彼岸中日に取り外すようにしております。
各檀家のお内仏(仏壇)にも安置している祖師像にも、当寺と同じように綿帽子をおかけするよう勧めております。